創業は戦後6年の1951年
三秀車体工業株式会社の始まりは、戦後6年という、まだまだマイカーという概念がなかった時代に創業者の赤田安次郎(現会長の父)がタクシー会社の鈑金職人として仕事を引き受けたことがきっかけでした。
創業者の赤田安次郎は、「これからは、手に職がないとダメだ。」と考え、名古屋で鈑金修行をしたのちに兵庫県西宮にて創業。その後、大阪に拠点を移し、現会長である赤田光良が32歳の時に “鈑金職人ではなく”、「整備士」として入社する。
大の車好き 大手メーカーを退職し整備士への道へ
創業者である父の反対を押し切り、当時勤めていた大手メーカーを退職し、28歳でとある自動車整備会社へ転職。業界的には遅咲きの28歳でスタートしたため、そのブランクを取り戻すためにがむしゃらに働いた。
父の会社を継承する目標があるため意欲も人一倍強かったが、「車を乗るのもいじるのもの大好きだったから、休みが無くても早朝から深夜まで働く事ができた。」会長は言う。
車のことなら何でもお任せ!ワンストップが売りの三秀車体工業株式会社
創業者が始めた「鈑金」の会社に整備士として合流した会長は、自身の営業で「整備」の受注を徐々に増やしていく。鈑金ご依頼の既存顧客様から「車検」まで受注をいただく流れができたことで「板金」「整備」がワンストップでお願い出来る工場として口コミが広がった。
今では、「板金」・「塗装」・「整備」・「車検」・「販売」など、“車の事なら出来ないことはない!” 三秀車体工業株式会社として、地域に根差し愛されている。
企業理念は車も健康!社員も健康!
会長が最も大切にしているのは“働く環境”。自動車整備業界は、どうしても、「3K(きつい・汚い・危険)」や体に悪いというイメージがつきまとう。このイメージを変えたいと真剣に会長は言います。「整備士は埃を吸って一人前」という、悪しき慣習に修行時代から疑問を感じていた社長は、「働く環境が一番」であると。
「車を綺麗にするために人間の体が汚れていく、こんなおかしい話なはい。」と、業務に関する機械はもちろん、掃除機、手袋、作業靴の費用にお金をかけるのもそういう理由。「社員の健康が第一。それが一番のお客様への奉仕です。」と会長は考えています。
時代と共に進化し続ける三秀車体工業。
三代目社長の赤田拓哉氏は、父である会長の意志を引き継ぎ、世界基準をいち早く取り入れるため、ある決断をした。海外では、ほぼ使用が禁止されている従来の塗料(車の塗装に使う塗料)から、世界基準である水性塗料に変更する決断をしました。
2017年9月に環境にも人にも優しい、有機溶剤(シンナー系)を使わない水性塗料に変更することにした。「一人一人が地球の環境を考える時代で、企業もそれに真剣に向き合わないといけない。」と社長は言う三秀車体工業は、時代と共に進化し続けます。
(取材・文/株式会社KATATI)